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会員総会内容
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本日の会員総会にご出席していただきました皆さん、
ありがとうございました。
会の事業内容案などについては当ページの『会員総会内容』を
ご覧ください。
それ以外のことについて、書かせていただきます。
まず、当会会員でもある呉時宋(オ・シジョン)さんが毎日新聞に掲載されたことが
紹介されました。呉さんは在日二世で、日韓両国の交流に力を尽くされています。
行基さんが百済系渡来人の血をもっていることから、行基さんにも詳しく、
堺市中区の「土塔」の説明板に多文化共生の理解に役立つと、行基さんが
渡来人の子孫であることを提案し、実現しました。詳しくは、掲載された
新聞記事をご覧ください。
▲毎日新聞・2017(平成29)年12月22日付(クリックすると別画面で拡大します)
そして、吉田会長の講演は「郷土史研究から見えてきた通説への疑問」。
どんな内容なのかと楽しみに(?)お話を伺いました。
要約しますと、
「地元の毛穴の郷土史を研究していて、江戸時代の農民の暮らしぶりの
解釈に疑問を持った/一般的には江戸期の農民は「武士から年貢を取り立てられ
貧しい暮らしを強いられた」とされているが、一部の農民は一定額の年貢を納め、
年貢以外の米は自家財産とし、裕福な暮らしをしていた/司馬遼太郎等の小説で
「幕末、年貢を米から貨幣で納めることになり、金のない貧しい農民の一揆が
頻発した」と出てくるが、実際には「米現物」で年貢を納めているのは一部で
あって、既に大部分の農民は米を貨幣に変えてそれを年貢として納めていた/
もちろん、年貢を納めることのできない貧しい農民もいたが、一方で年貢は
小作人に任せ、自分は裕福な暮らしや商売に手を出す農民がいた/その例として、
伊藤忠商事の創業者である伊藤忠兵衛は「農民」の身分で「商人」では
なかったが、自分の農地は小作人に任せて、諸国を歩き様々な取引をしていた」。
と、一般的な江戸時代の貧しい農民像は誤りではないが、正しくもない、
ということでした。
個人的には、全く現代の世の中と同じ=よく言われる1%の富裕層と99%の
貧困層の構図が、江戸期の農民社会でも起きていたんだな、と認識を
新たにしました。
▲吉田会長「郷土史研究から見えてきた通説への疑問」資料
(クリックすると別画面が開きます)
本日(2018年5月20日)、行基さんのお墓がある竹林寺
(奈良県生駒市)へ行ってきました。王子町と生駒市街/
平群谷を南北に結ぶ国道168号線を北上。ちょうど、
第二阪奈道路と交差するあたりを左折すると、車1台が
通れるくらいの路地の住宅街に入りました。その中の
山手に竹林寺はひっそりとありました。
ちょうど、地元の団地の自治会の有志の方が地元の歴史を知ろうという
ウォーキングをやっているのに出くわし、生駒市観光課の方の先導と
説明を受けていました。本堂に庫裏1棟のみという小さなお寺は地元の
方のボランティア活動によって維持されているとのことです。
行基さんの墓の前では、ご一行の方に交じって行基さんについての
説明を一緒に聞きました。
師匠の道昭と同じく火葬された行基さんの骨壺器は鎌倉期に掘り起こ
されていますが、それは現在、奈良国立博物館に保管されているそう
です。
そして、今回訪れて初めて知ったのですが、鎌倉期に行基さんを先達
・師と慕って、社会福祉活動を行った僧・忍性の墓もあることを
知りました。憧れの師の傍で眠りたいという遺言に従って葬られたとの
ことです。
(お墓の五輪塔は最近作り直されたようで、旧墓の石材が積まれていました)
さらに、ちょっと面白かったのが、最近ボランティアの方によって整備
されたという「石仏群」でした。これが行基さんと同時代で接点が
あったのでは?と考えられている役行者像と彼が感得した蔵王権現像
だったのです。行基さんと役行者が一緒に祀られているのは、やはり
2人は知り合いだった?ということでしょうか…。
そして、先般、このホームページに書き込みをいただいた方は、竹林寺
の清掃ボランティアをやられているとのことでしたが、この日も
ちょうど清掃の日とのことで、女性お二人が境内の蓮に水やりをしたり
していました。
このお寺が地元の方に大切にされているんだ、ということを実感しました。
牧野さんから「春の史跡巡り」の写真第3弾をいただきました。
不思議なご神体で有名な「生石(おおしこ)神社」です。
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岩山をくり貫いた御神体は宙に浮いてるように見えました。
御神体の社を見下ろす山の頂上へ登った時、
登って来てはいけなかったような感じがして急いで降りました。
不思議な神社でした。