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ミスタイプ直していません。
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2019/01/27 堺行基の会 学習会・茶話会メモ
『古代貨幣の呪力』森明彦 副会長
1999年、飛鳥池遺跡 富本銭
⇒天武朝、和同開珎より前の貨幣
その前、無文銀銭、天智朝、朝鮮半島由来?
国の下は郡ではなく「ひょう」朝鮮半島の統治機構の由来
天智朝(朝鮮的)天武朝(中国的)?
富本銭
⇒流通銭説
⇒厭勝銭説 偽物? 横に七曜⇒梅鉢文
新谷尚紀説
貨幣はケガレている。
死が詰まったもの
↓
これについての反証
ケガレという言葉は奈良時代にはなかった(平安時代からか)
神祇令散斎条
散斎とは⇒
前→ 祭 後
致斎
↑ 散斎 ↑
あらいみ
11 散斎条
散斎の期間、諸司の事務は平常通り。喪を弔ったり、病人を問うたり、肉を食べたりしてはならない。また、刑殺を裁判しないこと。罪人を刑罰しないこと。音楽を作らないこと。穢悪の事に関わらないこと。致斎には、ただ祭祀のことのみ行うことができる。その他はことごとく断つこと。致斎の前後を致斎と併せて散斎とすること。
えおのことにあずからず
↓
神は汚らしいことを嫌う・怒る
祈年祭→実りを願う(年=みのり)としごいの祭
神祇令の最初に規定されている重要な祭
供え物は穢雑なものであってはいけないと規定している
天皇→宇豆の幣帛(うずのみてぐら)→神
↓
これに穢があってはいけない→あれば(穢)=五穀が枯れている=凶作のさま
この祭りが出来た当時には銭貨は存在しなかった。
→古い祭、昔のことを変えないのが良しとされた
新しい祭り(八十島祭)には銭貨が使われている。
平安時代の祭りには、お金がお供え物として使われている。
銭神論
中国南北朝
銭貨の内側は地を象り、外縁は天を象る
→銭は宝であるからこそ神にささげるという思想
和同開珎
雑律売買固条→和同は交易の根本であることを示す
元号がもとではなく、和同という精神が先であったのでは(和銅、音が同じ)
行基と銭貨
和泉には銭が発掘されにくい。
行基の行跡、東大寺要録、造寺材木知識記
⇒寄進の金額などが書かれている(貨幣が使われていた)
QA:
穢という言葉は平安期か?
東大寺・・文書で初めて出てきた
道鏡を天皇に(称徳天皇)穢万呂=キタナマロ
平安時代にならないとケガレと呼ばない
古事記・日本書紀でも
穢国をキタナキクニ
中道さん、本日はありがとうございました。
そして、メモのご投稿ありがとうございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
昨日行われた『行基さん大感謝祭』のブースのお手伝いがてら、
東大寺の行基堂に行きました。
私個人でも何度も訪れている東大寺ですが、行基さんが祀られている
お堂については気が付いていませんでした。このイベントを機に、
「これは行ってお参りしなければ、行基さんに申し訳ないな…」と
思ったのがきっかけです(笑)。
行基堂は、大仏殿伽藍から三月堂・二月堂へと至る途中にある大鐘楼
の広場にあります。同じ場所には鎌倉期の中興の祖、重源上人を祀った
俊乗堂もあります。
行基堂は小さなお堂でした。江戸時代に建立され、紆余曲折はあった
ものの、造像された行基菩薩像が祀られています。
「行基さん、すみません!」と心の中で念じながら、写真を撮らせてもらいました。
産経WESTに吉田会長のインタビューが掲載されています。
https://www.sankei.com/west/news/180810/wst1808100023-n1.html
中道様、コメントありがとうございます。
HP管理者・和田が帰省しており、コメント承認が遅れましたことをお詫びいたします。